IROSHIMA 2008
Animations座談会8 < 1 2 3 4 >

日目


58 This Way Up (Smith & Foulkes)

土居 
これすごいウケてたじゃないですか。

大山 
不思議なくらいウケてた。なんでだろう。

グェン 
こんなにウケるていうのはちょっとまずいかと。これも、これでもかこれでもかと永遠と重ねてくるんだよね。

土居 
アニメーションでドミノ倒ししたって何の意外性もないっていうか…

グェン 
意外性があるかないかすらわからなくなるくらいどうでもいいんだよね。

土居 
何であんなにウケたんだろうなあ…

山村 
3日目が面白くなかったからここで楽しまなきゃと思ったんじゃないの(笑)。この作家にとっては良かったですね。


60 The Tiny Fish (Sergei Ryabov)


グェン 
これは目立ってましたね。アヌシーでも上映されて目立ってました。古いんだよね。子供向けだし。子供向けとしては良かったと思いますけど。

土居 
悪くはなかったと思いますよ。

グェン
土居さんが倫理的な観点で「これでいいのか」って書いてましたけど、女の子の感覚、どうって事ないような普通の日常の描き方は良かったと思いますけど。

土居 
おじさんが作ってるなあ、っていうのがすごく感じられてしまって。子どもをあまりにも純粋に描きすぎなんじゃないのっていうような。

グェン 
それは根本的なところですね。アニメーションだけじゃなくて、子供に向けて作るっていうことは。

山村 
そこは難しい問題だよね。

土居 
『マザー・アンド・ミュージック』は……

山村 
あれは子供向けに作ってないから、それは別の問題だと思うんだけど、子供のためのアニメーションってほんと難しいんだよね。

グェン 
だから、良心的と一言でかたづけるのも何の解決にもならないと思うんだよね。

山村 
この作品からは外れちゃうんだけど、僕は自分が子供向けのものを作っている時に、自分の考えとして、「子供向けの作品はない」くらいに思ってたのね。逆に「大人向け」っていうのはあると思ってて。大人しか理解できないような、政治的な話だとか性的な話とか、限定したストーリーっていうのはある。でも子供ってのは逆に、そういった理解できないものを除けば、これから学ぶものが山ほどあるので、子供のためにっていう意識で作ること自体どうなんだろうってずっと疑問があって。

土居 
そういう点でいったらこの作品って、許容範囲を設けてるから逆に教育に悪いような気がするんですよね。

山村 
そう、だから、いわゆる良い子供向けのものを作ろうとするとこの作品みたいになっちゃう危険性があるんだよね。そこは考えなければいけないと思うんだけど。


62 Grrrr... (Grigoris Leontiades)


山村 
これはちょっと良かったかなあ。

土居 
僕も結構良かったです。染み入るものが。

山村 
これが賞取れないんだよな。これは心を感じたんだよね。

土居 
人間を描いてるなっていう感じがして。

グェン 
心理的な働きをね。深いところを。

山村 
子供の表現出来なさを表現しているっていう。良かったよね。これ。


63 つみきのいえ (加藤久仁生)


土居 
作品だけを観たら全然感動もなんもできないんですよ。作りが甘すぎて。そのかわり、雰囲気みたいなものを作るのだけはすごく上手いなと思う。だから、観客がそれぞれ自分の記憶の中のノスタルジックなところや肉親との記憶を思い出して感動するというのはわかるんですけど、作品自体では描けていないと思うんです。だから僕はわからないです。これが大きな賞を獲るっていうのが。

グェン 
この作品は広島で賞を獲る以前にアヌシーでグランプリを獲ったわけですが、今年のアヌシーはとにかくひどい作品が多くて、この作品か、もう一つフランスの作品しかまともな候補はありませんでした。そのフランスの作品は観客賞をとって、それ以外は何も獲ってない。審査委員は完全に無視したわけです。私としては、その作品がグランプリで、これがその次かなと思いました。作りが表現として上手くいっていないとは思わなくて、感動出来るか出来ないかというよりも、感動を与えようとしている意図があるのは明らかですが、感動せずに観るという事に意味があるように思うのです。

土居 
そう観た時、この作品から他になにか受け取れるものがあるんですか?

グェン 
感動するかどうかという話をおっしゃってましたが、それはこの人に感情移入するというようなことですか?

土居 
感動はどうでもいいんですけど、作品の中の論理が全然なりたってないし、おじいさんの人生が薄っぺらい人生にしか思えないというか、重みを感じられなかったんですよね。舞台装置の設定はすごく良かったと思うんですけど、それが全然生きてないっていうか……

グェン 
それが不透明なままでも気にならないというか。この作品がアヌシーでグランプリ獲ったことを、ある人がネットですごく悪口を言っていたんですよ。『岸辺のふたり』のパクリじゃないかと。デュドクさんの作品は同じ類の作品でも恐ろしいくらいうまく出来ているんだよね。それに対してこちらは、感情的な何かを描こうとしているのに、観客は感情的にならずに見ていられるんですよね。そこが良かったです。

山村 
それは皮肉にしか聞こえないですよ(笑)。僕は作られた背景を知っているのでなんだけど、感情を喚起させるための企画なんですよね。「泣かせる企画」って指示を与えられた中で、加藤君がこういうアイデアを形にしたんであって、そういう意味で感動しないっていうのは僕には皮肉に聞こえてしまう。

土居 
作品自体から「泣け泣け」っていう呻き声が聞こえてくるんですけど。

グェン 
そうですか。それは例えば『岸辺のふたり』では……

土居 
そういう風になるようにきちんと作られてるから逆に評価出来るわけですよ。

山村 
うーん、『岸辺のふたり』も僕は実は評価できなくて。

土居 
そうですか、結構作り方上手いんじゃないかなと思うんですけど。

山村 
もちろん、もちろん、どちらも上手さというか……

グェン 
加藤さんのほうは、観る側に不透明な部分が残されているというか、ただただ感動に流されていないがために観る側に想像できる何かがあるんだけど、デュドクさんの作品だと、完全すぎて感情的なことも自動的な機械的なものとして催せるというところまでいってるわけです。ボタンを押すように。あれは本当に恐ろしいですね。

土居 
『岸辺のふたり』には恐ろしさはめちゃくちゃあるんですよね。『つみきのいえ』もそれをやろうとしてますよね。間違いなく。それで出来てないんですよ。

山村 
そうだよね。ボタンを押したいんだよね。それでも押されてしまう人はいっぱいいるんだよ。多くの人は感動したと言っているし、観客賞も獲ったし。十分ボタンを押されちゃってる。僕はこれでボタンを押される方がどうかなと思ってしまうけど。

グェン 
それがただ単純にそう機能しないところが意外と面白いと言いたかったんです。

土居 
僕も別にヒロシマ賞とかアヌシーのグランプリとか大きな賞とってなければ別にいいんですよ。優秀賞くらいであれば別に。

山村 
まあ、賞の評価は全体とのバランスなんで別として、この作品単体のきちっと評価をしなければいけないんだけど。ボタンを押されるかどうかで完全に評価が変わる作品だと思うんです。押された人はそのまま受け入れると思うんだけど、僕は押されなかった。逆に、押そうとしてるのはところどころで感じてるから、逆に押してくださいと。でも、「押せないの? ワイングラスをチン、で終わりなの? 老人にもっと何か深いなにかがあることを最後に露呈するところで感動させてくれるんじゃないの?」って思っていたので裏切られたんだよね、ラストは。

グェン 
そういう期待。

山村 
そう、だって下へ下へ潜っていって、明らかに期待感を盛り上げる構成になってるのに、ワイングラスを拾ってチンで終わりっていうのは……加藤君には悪いけど。恥ずかしくなったというか。今回、感動させようっていう部分っていうのは脚本家が絡んで、「泣くスイッチ押せ」っていうプロデュースの設定があるので、そこは多分加藤君の気持ちと乖離しているところがあったんじゃないか。加藤君としては、もし、「とても泣けました」「感動しました」っていうところで評価されても彼自身はまったく嬉しくないんじゃないか。彼が描きたいところは別にあって、もしかしたらグェンさんが言おうとしているところなのかもしれないけど、アニメーションで出来る別のことがやりたくて、それを感じてはいるんだけどまだ出来てない未消化な部分にみえる。描くところがとても不透明で雰囲気しか感じられないっていう。多分本人も、まだ見つけられてないっていうもどかしさがあると思うんだよね。

大山 
これ、なんでフランス語なんですか。英語のタイトル書くところじゃないんですか?

山村 
原題がこれなんだよ。それも僕つっこみたかった。なんで原題がフランス語なんだって。

土居 
あれ、『或る旅人の日記』もフランス語じゃなかったでしたっけ?

グェン 
いやいや、それは英語のタイトル付いてますよ。登場人物の名前をロシア風につけてるんだけど。

山村 
結局フランス語のタイトル付けちゃうってのはオシャレでしかなくて、それか最初からアヌシーだけに出す目的で付けたかどっちかしかなくて、地に足をつけた所で制作していない軽さが露呈している。

グェン 
作り手の意図はともかく、泣けるっていう言い回しそのものが不思議な日本語の現象なんですけれども。わたしは「泣けない」っていうところが良かったですね。キャラクターが不透明で、そのバックグラウンドも、何を考えているのかもわからないゆえに、完全に他者として観て、自分ならどうかという事を初めて考えさせられるという事が可能になると思うんです。そういう映画は実写も含めてなかなか最近はないけど、フランス映画でたまに出てきて、これはこの作品についてではないけれど、本当に強烈な選択を強いられた人を画面に見ると、自分だったらと考えることがはじめて可能になるんですね。これはラストを含めて泣けなかったという事こそがありがたかった。観る側にゆだねているというところで不満がないというのが評価するところですね。泣かせてほしいという期待もないというか、そんな期待自体が不思議な気がしますね。作り手にそういう意図があろうがなかろうが観る側の勝手として、別次元の問題だと思いますね。

山村 
わかりますわかります。ちょっとわかってきました。

グェン 
押そうとしているかもしれないけど、観る側の最も個人的なものを犯していないわけです。それは単にそれに失敗しているかもしれないけど、犯していない。多くの場合は犯しています。それが一番許しがたい。

山村 
そういう意味でのキャラクターや世界の距離のとり方っていう点では良い作品だと思いますよ。だからそれは、この作品はある程度の賞の評価をもらうに値するような、中より上にいくべき作品としては成り立っていて、犯されるっていう意味での嫌な部分は少ないはずなんですね。僕も作り手の意識は評価できる。ただ、どうしても観客の反応が、この場合、問題になってしまっている気がする。

土居 
グェンさんの言っていることはわかるんですけど、この作品をそういう作品として評価してしまっていいのかって。

山村 
なんとなくそれが皮肉に聞こえてしまうんだよね。

グェン 
そんなつもり全然ないです。ある人が言っていたのは、あらゆる作品は「ゴダール以前」、「以後」にしか作品は分けられず、これはゴダール以前だってけなしてたんだけど。まあ、ちょっとわからないんだよね、それも。じゃあ、ゴダール以前は全て水の泡かって事になるし。でもその人は相当怒ってたんだよね。

山村 
ゴダールは乗り越えられない別の地点だと思うし、以前以後で分けられても困ると思うけど(笑)。

グェン 
この作品が観客賞を獲ったというのはある程度企みが通用したのかもしれないけど、こういう作品が観客賞を獲るという事は、『オフィスノイズ』のような獲りがちな最もくだらない作品が獲るよりどれだけマシかと思います。


68 Breakfast (Izabela Plucinska)

山村
これは賞をとりましたけど…

土居
これ未だに良くわかんなくって…

山村
何が起こってるか、たしかにわかりづらかったよね。

土居
風が吹いてきて…

山村
何が飛んだんでしたっけ。新聞読んでたから新聞だっけ。

グェン
何かサイレンのようなものが鳴って…

山村
何か事故のようなものがあった。

グェン
そうですね。で、それをあえて見せないで。

山村
うん。今の話からすると、そういった外での出来事が、部屋の中にも少し作用した、というようなことなんですかね?

グェン
そういうことですね。

山村
まぁ、あまりにささやかな作品だったので…

土居
これ何の賞とったんでしたっけ? けっこう大きい賞でしたよね?

グェン
木下蓮三賞ですね。

土居
どういう賞でしたっけ。

グェン
これもよくわかんなくって、(対象は)学生じゃないんですよね。

土居
確かデビュー的な何かでしたよね。

山村
いや、当初は蓮三さんはギャグものをやられていたので、ギャグものに対しての賞なのかと僕は思ってたんだけど、でもこれまでの見るとそうでもないので、ちょっとその基準はよくわからないんですよね。

グェン
でもデビューでもないんだよね。

山村
でも若い人にとか何とか言ってませんでしたっけ。

土居
はい、若い人にとは言ってました。

山村
デビューじゃないけど、若い人。

グェン
この人はデビューでもないし、(先生として)教えているし、もう一本の作品をアヌシーのコンペで上映してたんです。二つの作品を完成させて、両方を両方のフェスティバルに送ったと、たまたま成田で会ったんですけど、そう話してました。だからとても不思議で。「この作品もあなたのか」、と…

土居
全然違うんですか?

グェン
けっこう違うんですね。何か訳わからない作品でね、四人の人がバスから海に入るような…。だから同じ人が作ったとはまったく思わなかったんですよね。

土居
僕が見たことある過去の作品では、クレイで人形を作っていました。

グェン
そうですね、あれは粘土のキャラクターが、赤の他人たちと何故か海に入るんですよ。でも『Breakfast』の方が断然良かったですけどね。


69 Dialogos (Ülo Pikkov)


土居
じゃあ次、『Dialogos』(Ülo Pikkov)を。僕は大興奮でした。

山村
今回のこの広島の並びでいくと、ここだけ突き抜けてたからね。どうなんでしょうか。

土居
僕、これDVDもらって家で何回も観たんですけど、個々のギャグの間にだんだんつながりなどが見えてきて、何回観ても全然飽きないですね。

山村
いや、これ良かったと思いますよ。何かしらの評価をしなければいけないと思いますけど。

土居
この日の最初の作品(58 "This Way Up")みたいな、何か箱庭を作って、そのなかで観客を誘導して…っていう作り方とはまったく正反対で、まぁレビューにも書きましたけど、突き抜ける力だけを持っているというような作品で、スカッとしました。大山さん、フィルムの使い方について話さなくていいですか。

大山
うーん、そこがやっぱり僕はちょっと…。カタログに載っているスチールを見て、作者の写真を見て、解説を読んで、「あ、フィルムスクラッチの作品だ。これ面白そうだね」っていうようなことも事前に話していて、けっこう期待しちゃっていたというのもあるんですけど、実際観てみたら、編集をパソコン上でしてるとわかってしまって。一本のフィルム上に描いて、これがこの世に一本しかない作品、っていうことで作ってるんだと思い込んでしまっていたので、そうじゃないっていうのにかなりがっかりしたんですよね。この作品の解説にも、「コンピュータに頼っている現代社会を皮肉った」みたいなことを書いてあるから、当然すべてフィルムでやっているんだろうなと思ってたんで。

山村
これはそういうことと全然関係なく面白かったですけどね。

グェン
そうですね、面白かったですね。

山村
アナログにこだわりすぎてたら、こんな突き抜け方はしなかっただろうし、このまったくのこだわりのなさが、この作品の魅力であって。

大山
広島では、それだったらフィルムに描かなくても、フィルムみたいな素材の別のものに描いてもいいんじゃないかって思っちゃったんです。そういう絵作りが出来さえすれば、本当のフィルムじゃなくてもいいんじゃないって思ってしまって。何かその、フィルムでやりましたっていう変なアピールみたいなのが、今度逆に鼻につくようになってしまって。

山村
そうは感じないけど、まぁそれは感じ方だから。

土居
作りとしてはそういうふうには感じない作りですよね。

山村
いかにも軽いノリで作ってますって感じの。

グェン
フィルムに描くことが可能とする即効性とかがある。

山村
ありますよね。だからこれフィルムじゃないものでやろうとしたら、連続して描きづらいわけだし。フィルムだからこそ、用意されたフォーマットの上に描くだけでいいっていう楽さもある。当然マクラレンにしても、後で編集したりしているわけで。そこはね、全部ダイレクトでフィルム一本で最初から順々につくる、ゼロから間違えないようにやる、みたいな、ペトロフみたいな怨念のこもるようなこだわりのある作りとは逆で、軽さをもつためのメディアの選び方だと思うんで、それは間違ってないように思うんだけどね。

土居
本人も記者会見のときに、「youtubeとかで好きなとこから好きなとこまで何回も何回も見てほしい、別に作品全体を見てくれなくていい」みたいに言っていて。レビューに記者会見のことも書きましたけど、「なんでアニメーションや映画は一回か二回くらいしか見られないのか」っていう疑問があって、「それは物語というものが邪魔をしているんじゃないのか」って。「音楽なら何百回も聴けるから、自分の作品もそういうものにしたかった」という話をしてて。そういう態度の明快さをすごく頼もしく感じたんですよ。

グェン
正論ですよね。

土居
根本的な態度までしっかりさせて作っている人ってそんなにいないと思うんですよね。いい意味で真面目というか。

山村
そうだよね。エストニアの若手の中でも、本当に真面目だと思いますよ。だからこの作品は彼の中でも、ひとつ突き抜けていて良かったと思う。


75 Cyber (Stefan Eling)


土居
『Cyber』は不思議な感じがしました。

山村
バーチャル・リアリティ・ゲームみたいな。

土居
展開としてはすごく陳腐なんですけど、何だろう、何か新鮮さを感じたんですけど。

大山
うん。色遣いなのかなぁ、何か見てて、目がおかしくなったのかなぁっていうような…。内容とかは全然なんですが、単純に色遣いが。

山村
運動している視点に、おかしくさせられる感じはあったかもしれないね。どっちが動いてるんだっていう。そこは面白かったかな。発想自体はすごく単純なことなんだけど、でもこれをビジュアルで見た時に、動きの印象は確かに新鮮だった。

グェン
そうですね。パロディ的な発想にどれだけ凝ったかっていうね。

山村
これは完全に固定したカメラでとらえていて、なのに動いているのは自分なのか地面なのか心なのか、どれなのか、っていう。どちらに動いているのか。そういうズレの変な感覚っていうのは面白かったし、まぁそこまで敢えて狙ってるようには見えなかったけど、そういう部分では楽しめたかな。


76 Madame Tutli-Putli (Chris Lavis, Maciek Szczerbowski)


土居
僕これ「グランプリとっちゃうんじゃないかなぁ」って思いました。

グェン
あぁ、そう。

土居
作品を評価してるからっていうよりも、この流れのなかでだったらグランプリありえるんじゃないかなっていうふうには思いましたね。

山村
僕は、前回のオタワで同じコンペティションにいてグランプリを競ったわけで、やっぱりこれが一番可能性を感じた。だから、オタワのときは、授賞式でこれが先に名前を呼ばれたとき、「自分がグランプリとるかな」って思ったんですね。だから、この作品はこの時代の中にあっての、ある程度の水準を満たした作品であると思う。でも、どうしてもドラマのところで若さというか、未消化な部分がありすぎて…

土居
ラストが何回見ても不可解というか…

グェン
以前、この座談会での山村さんからのお話が参考になって、納得のいくような不可解さであるというのがわかりました。それまでちょっとなかなか受け入れがたいものだったので。それでもね、作品全体としてやっぱり問題が…何て言うのかな、新しく得られるものと、作品が抱えている問題とを比べたら、やっぱり問題の方が多い気がしますけれども。どうしても素直に見てられなくなるというか、どこかに騙しがあるような。

土居
恐ろしさを感じますよね。

グェン
動きのしかたに絶対ネタがあるというか、訳があるような気がして、そうするとね、ちょっとこう敵視してしまうんだよね(笑)。絵によるアニメーションで、特に日本なんかは海外からたくさん言われてきて、いわゆるクソリアリズムとかね、絵なのにどうしてそこまで写実的なものを追求するのかっていうようなことを、この作品では人形で敢えてやっている部分がある。絶対に実写を使って、歩きの重心とかを画の参考にしていて、そういうのを敢えて人形でやっている。行き止まりになるはずの追求を新しさとして提示しようとしている。それが成功しているというのは、ちょっと恐いですね。

土居
すごい新しいし、何だろう、リアリズムを超えた、観客が身体で反応してしまうような、そういうリアルみたいなのがあって、恐いと思います。将来、この時代を歴史的に振り返ったら、必ず言及される作品になるんだろうなぁっていう気がしないでもないです。

グェン
あまり参考にならないけれど、この作品の評価のされ方を見ると、『ライアン』を思い出すんだよね。狙いとして、どこかで根本的な騙しというか、ズルイところがあるような気がするんだよね。それがまぁ成功すればするほど、ちょっとね…。まぁ優れた部分はもちろん大きいけどね。冒頭の場面とか、そのカットが持つ力とかはすごいんですけど。

山村
部分的には良くできている。

土居
流れ的にちゃんとした物語が求められていないのかも、っていうことはないですかねぇ。

山村
流れ的に、というのは?

土居
全体的な時代の流れとして…

山村
物語が求められていない?

土居
『Lavatory- Lovestory』のような正攻法みたいなものが。

山村
うん、少ないよね。これもでも見かけからいくと、そうなってほしい運びを感じたのに、そうなってないんだよね。

グェン
あれもそうですよね、NFBの…(56 "Subservience")

山村
うん、そっちはもっとひどいんだけど。ストーリーなど何も関係ない、雰囲気だけっていう。これ(『Madame Tutil-Putli』)は感じさせるじゃない、前半で丁寧な描写をしているし。

グェン
確かに何かを期待させるんですよね。

山村
だから単に時代うんぬんっていうよりは、これは演出の点での単なる未熟な部分というか、若さゆえに描ききれていないということではないかな。視点がちょっとズレていってしまった構成の弱さというか。簡単に映画として面白くないじゃん。これほとんど見かけ実写だし、人形の皮を被った実写映画みたいな感じですよね。目の部分が実写だけというよりは、それ以外も全部実写に見えるじゃないですか。デフォルメされたフォルム以外は。じゃあもし、そうして見た場合、「これが面白い実写映画になってるのか」って考えると、どうですか。

土居
多分一番面白いのは、すごく実写っぽいのに、それなのに人形であるっていうそういうズレの感覚。

山村
そこがたぶんみんな驚いたり、興味を持つ部分ですよね。それがなかったら、じゃあ映像の骨として何が残っているんだろうというのが。

土居
そこがもしかしたら、価値観の問題になってくるのかもしれませんね。

山村
そんな骨の部分なんて、もしかしたら時代としては求められてなくて、そのズレさえあればいいっていうところもあるかもしれない。でも、彼らは明らかに映画をやろうとしていると思うんだよね、この作りは。現に彼らは今、長編映画を撮っているらしいし。だから、あくまでステップなんだよね。そう考えると、アニメーションとして見るってところからすると、ちょっと嫌な感じは受けるよね。 4 >

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