ン・ハーツフェルト(特別編)
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 ドン・ハーツフェルトは、商業化した「ジ・アニメーション・ショウ」から身を引いて以来、新作が完成すると過去の自分の作品とともに「ドン・ハーツフェルトと過ごす夕べ」と名付けられた全米映画館ツアーを行うようになりました。そのイベントが、作品上映と、それと同じくらいの長い時間のトークで構成されていることからも分かるように、彼は非常に多弁で、明快な言葉を持った作家でもあります。イメージフォーラム・フェスティバルでの本格的紹介には残念ながら本人は参加しませんが、そのかわりとして、作家本人の許可のもと、ホームページに残された大量のインタビュー・アーカイヴからピックアップした数々の言葉を紹介します。「アニメーションとは何か」という非常に壮大なテーマから駆け出し作家へのメッセージまで、幅広くいきます。(土居伸彰)

編集、翻訳:土居伸彰


ドン・ハーツフェルト――オタワ国際アニメーションフェスティバル(2009)での回顧上映にて

>> http://www.bitterfilms.com/articles-q.html より

――映画学校の教育はどの程度役立ちましたか?

すごく役立ったと思う……映画の本質や言語、歴史、理論を学んだことで、じたばたした僕のエネルギーは、明確なアイデアになった。後から考えると、僕が受けた教育がすべて実写映画だったことは奇妙なことだと思うけど、オールラウンドのアニメーション作家は、編集や撮影、音入れ、監督術、演技、脚本、そういったものをすべて理解する必要があるんじゃないかな。絵の描き方を理解するだけじゃ映画は作れないよ。

――作品が次第に長くなっていますが、将来的には長編もやりたいですか?

長編はまた別ものだと思う。僕は1コマか2コマ撮りでやってるし、ひとりで長編をやろうと思ったら20年はかかるだろうね。そうなると他のスタジオの助力や資金援助が必要になる。(……)でも、長編を扱ってるひとたちはこういう手描きアニメーションにはもう興味がないと思うよ。

――世の中では長編アニメーションの数が次第に多くなっているように思えますが、してみたいと感じていること(もしくはしなければならないと感じていること)はなにかありますか?

うん、昔はあった。「しなければならないと感じている」っていうのは良い言い方だね。90年代の後半、ロサンゼルスまで通っていって、あらゆるのスタジオに赴いて、長編をやろうとした。長編に発展させられるような材料もたくさんあったんだけど、でもやりたくなくなってしまって、するとあらゆるプロセスがイライラするものになってしまった。(……)なんにせよ、スタジオは僕のアイデアをすべてダメにしちゃったんだよ。このことを理解するのにかなり時間がかかってしまったんだけど、僕は短編を作っているとき、創造上の完全なる自由を欲しているんだ。邪魔がなにも入らないことだ。短編には素晴らしい観客たちがいるし、これまでのところ、僕は短編作家として生活できている。だったら、長編に関わる人たちを喜ばせるために、壁に頭を打ち付けながら考えなきゃいけない必要はないよね。 先週、スコセッシの素晴らしい発言に出くわしたよ。「作ることができる映画を作るな。作りたい映画を作るんだ。」

――ビル・プリンプトンの影響について教えてくれませんか? (もしあるなら、ですけど。)あなたは彼のインディーズ・モデルを追っているように思えるんです。助成金にもスタジオにも頼らず、収入は自分の作品から得たものだけ、という。

僕が最初にビルの短編を観たのは12歳か13歳のときだったかな。短編で生活できる人間がいる、しかも自分のやり方を崩さずに、ってことに気付くことができたのは本当に価値あることだった。(彼が背景を描かないってこともね!)たぶん彼は、すごく多くの人たちが「よし、こんなふうにやるやり方があるんだったら、僕にだってできるな」と思うような人間なんじゃないかな。60年代や70年代のヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響について、よく言われることがあるよね――彼らはミリオンセラーを出したわけではないけど、彼らのアルバムを一枚でも買った人はみな、自分のバンドを始めた、っていう。僕が思うに、90年代のインディペンデント・アニメーション界でのビルの影響についても同じことが言えるんじゃないかな。

――あなたが短編アニメーションを作りはじめてから今までで、アニメーションをめぐる状況は変わったと思いますか? あなたにとって、やりやすくなりましたか? 機会は増えましたか?

たぶんね。でも「機会」っていうのは注意を要する言葉だ。今では自作の映画をタダで見せるためのサイトが山ほどある。でもこれって多くの点で、映画作家にとっては後退なんだと思う。アーティストはこれまで以上に自分自身の権利について注意深く自覚的にならなきゃいけない。新しい「機会」は、多くの人たちにプラスをもたらした。上映できる場所は増えた。iPodや携帯でも観れる。でも、ことを始めるのにこんなのって、ウンザリじゃないかな? いつか自分の作品をクソッタレな携帯でプレミア上映したい、なんて夢を見ている子供なんて、世界中のどこにもいないと思うよ。
新しいもの、より便利なものっていうのは、「一歩進んで二歩下がる」なんだ。凄いステレオシステムのかわりに、今ではみんな圧縮されたmp3で、シケたスピーカーとイヤホンを使って音楽を聴いてる。バンドは自分たちのアルバムのダイナミックレンジをぶちこわして、音だけ大きくて空間の広がりがない薄っぺらなミックスで妥協しないといけない。そう、音楽は確かに便利になった。でも、ほとんどの人にとっては、音自体は10年前よりも悪くなってるんだ。僕はまだこの新しい使い捨てメディアに完全に慣れることができてない。いろんな会社が僕の映画を圧縮して、縮めて、奇妙で新しい場所に発信しようとしてる。いくつかの映画祭は、もう35mmでは上映しないとも言ってる。「デジタル上映」のおかげで、ほんと困ったことになった。圧縮されたDVDを今度は30フィートにまで引き延ばしてようやくスクリーンを一杯にして、観客に届けなきゃいけないわけなんだから。

――あなたの映画(とくに『ビリーの風船』と『リジェクテッド』)の暴力描写についてはよく言及されますが、でも恐怖や不安の方が一貫したテーマであるようにも思えます。自分自身ではどう思いますか?

僕の書くものが意識的に計画されたり計算されたりしていることは滅多にない。書いたのと同じ日にアニメーションにしてしまうことが多いんだ。「書く」っていうのは、たとえば皿を洗っていたり眠っているときにどこかからやってくる、ってことなんだけど。だから映画が完成して、一歩下がってすべてを見渡してから、テーマだったり二重の意味だったり、他のひとたちが指摘するようなものに気付くってことがよくある。だからその質問に答えるのは難しいな。表面的には、『リジェクテッド』も『なにもかも大丈夫』も『リリー・アンド・ジム』も『ビリーの風船』も全部違ってる。でも、テーマとしては、常に同じ場所からやってきていつも同じ言葉をしゃべっていると思うよ。

――恐怖や不安を映画を通じて分節化することはあなたの心を落ち着けてくれますか。それとも、肩の荷を降ろすようなものだったり、スクリーンにその荷物をぶちまけるようなものでしょうか。「これが俺の感じてることなんだ!」みたいな。あなたの「重荷」を克服する試みなんでしょうか。それとも観客が、自分自身の脆い精神状態が反映されているように思えるあなたの映画を観て癒しを見いだすことが目指されているんでしょうか。

どうだろう。そういったことは考えたことがないな。アニメートの作業自体が本質的にセラピー的だってことはあると思う。何ヶ月も一人で座って、ほとんど目に見えない何千もの瞬間からなにか大きなものを辛抱強く組み立てていく。太極拳とかそんなようなものに似てないかな。自分の考えだけを抱いて、一人でいなければいけないことはとても良いことだと思う。アニメーションはそれを極端に必要とする。自分の考えと一人向き合う人って、最近では全然いないみたいだけどね。


『リジェクテッド』(2000) (c) bitter films

>> http://www.bitterfilms.com/articles-p.html より

――『なにもかも大丈夫』のほろ苦い美しさ、そのインスピレーションはどこから湧いてきましたか?

難しいな、いろんなところからやってきたんだ。ルーツはといえば、1999年に描いたビルというキャラクターの漫画にまで戻れるだろうと思う。その時僕は違う映画を作っていたんだけど、僕の頭のなかでそのアイデアは姿をどんどんと変えていった。残りの部分は、夢、会話、記憶、人々の観察……そういったところから来てる。アイデアを出すときの最悪のやり方は、座って、空白のページを見つめて、自分自身を苦しめること。予期していないときにこそ、最良のアイデアはやってくるんだ。どうして、どのようにしてそれが湧いてきたのかわからない。アイデアがやってくるというよりも、パッとつかむという方が正しいかな。それから、そういう散らばったアイデアを結びつける共通の糸を探して、一緒にしはじめるんだ。制作のプロセスを通じてずっと、書き直したり入れ替えたりして。AからZまで順々に作っていくなんてことはしたことがないと思う。R、S、Tあたりから始めて、そのあとに残りを適宜埋めていくって感じだ。アニメートの作業はすごく時間がかかる。物語が完成するまでにかかる時間はかなりのものだ。『なにもかも大丈夫』も同じだったけど、作業に取りかかるまでにだいたいのポイントはつかんでた。それでも、最初のアイデアと完成品とのあいだには大きな違いがいくつもある。

――観客を「得る」ことはどの程度重要でしょうか?

そのことに関しては心配してない。作品に深みさえあれば、「得る」ための方法は少なからず存在していることになると思う。いろいろな人に、いろいろなやり方で話しかけてくれるはずだ。

――事前のテスト試写はしますか? 観客が笑わなかったり、予期した反応をしてくれないときはどうしますか?

思い出せないけど、『ビリーの風船』以来、友達に見せることもしていないと思う。他人の意見を尊重していないってわけじゃないんだ。でも、自分がスクリーン上に観たいと思うものが不確かなことは滅多にないから、その必要を感じないんだ。作品がどんな反応を起こすかについて考えすぎたら、きちんと映画を作ることなんてできない。自分の選択や決定を曇らせることになるから。結局、自分が表現しようとしているものを知っている人間は、自分しかいないんだよね。もし他の人が観たいだろうと思うことに基づいて映画を作りたいなら、その人にカメラを渡せばいいんじゃないかと僕は思うよ。
 『なにもかも大丈夫』は、まったく同じシーンが、あるときには笑いを、次のときには悲しみの気持ちを呼び起こすようなタイプの映画だと思う。そのどちらの反応も僕は正しいと思う。観客に想像の余地は残すべきだと思う。観客が手綱をとって、自分自身で感じとるための。
 そうじゃなきゃ、いつも観客に対して「ところでさ、君はこういう風に反応すべきだったんだよ」なんてふうに余計な口を出し続けないといけなくなる。あらゆる瞬間が偽物で、ぎこちないものになってしまう。

――観客はあなたと一緒に成長してくれると思っていますか? 観客を失ってしまうことを恐れることはありますか?

観客が想像するとおりのものを作って、同じことを何度も繰り返した方が、観客はすぐにいなくなってしまうんじゃないかな。見当違いのものを作るためには、その方法は最適だね。たくさんのアーティストが、自分の観客たちを過小評価しすぎていると思う。実際には観客がどれだけ深く作品に付き合ってくれていることか。

――あなたは伝統的で非コンピュータ・ベースの映画制作の教育を受けた一番最後の世代ですが、あなたやBitter Filmsの成功はどの程度時代に負ったものだと思いますか?

 わからないな。ハードウェアの問題に関しては、強調されすぎだと思う。みんながそれぞれ、自分に一番合ったカメラやアニメーション用のツールを見つけて、そんなことについては考えないようになればいいと思う。誰かが新しいデジタルのツールを発明すると、これまでの既存のすべてのやり方をけなして、理論もすべてが死んでしまったと宣言してしまうようなイヤな雰囲気はまだあるよね。「フィルムvsデジタル」だとか「伝統的なアニメーションvs3D」だとか、そんなものばっかりなのが問題なんだよ。こんな「vs」なんてクソくらえだ。僕たちはあらゆる選択肢から選ぶべきだ。新しいツールはコレクションのうちに加えて、愚かな鳥カゴごっこはやめるべきだ。

――自分の映画を観る経験は、時とともに変わりますか?

そうあるべきだと思うね。でも、時間が経つにつれて、どんどん自分のものだとは思えなくなってくるんだ。たぶん僕の記憶が悪いせいなんだろうと思うけど、いくつかの作品は年を経て僕以外の多くの人たちに定着して人気になって、そのせいで僕からは切り離されたものになっているように思う。ビックリハウスの鏡みたいに。ある人は僕のキャラクターのタトゥーをいれて、ある人は自分の作品に引用して、ある人はおもちゃを作って……もう僕だけの映画じゃなくなってるんだよね。抽象的な動物みたいなもので、僕と関係はしているんだけど、みんなのものでもあるという。多くの人たちが僕の作品を発見して、彼らとシェアすればするほど、僕の作品はどんどん変化していくように思える。そのことは素晴らしい。誤解しないでほしいんだけど、作品ってのは自分の子供みたいなものなんだよね。独り立ちして、変なピアスをして、新しい関係を築いていって、予想もしなかった人生を経て、完全に新しい意味を持った、まったく違うものに変化してしまうんだ。だから今から振り返るのは奇妙な感じがする。作品は僕自身よりももっと興味深い人生を送っているんだ。

――最後に「本当の」職についたのはいつですか? 何の仕事でしたか?

これが唯一。これ以外に他の仕事はしたことがないんだ。とても若いときに始めたし。奇妙だし、悲しいことだとも思うんだけど。 2 >

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