クセン州とアニメーション映画への情熱
< 1 2 >




 今日は昨日に引き続き「ザクセン州とアニメーション映画への情熱」に行ってきました。今日はDVDプレゼントありませんでしたね。それを期待して来た方がいたらすいませんでした。

ドレスデン短編映画祭(フィルムフェスト・ドレースデン)傑作選
 なかなかの好プログラムでした。
 "狂人と心と目"(2006、アネッテ・ユング)は最初の5秒くらいで駄作とわかるタイプの作品。奇怪なことをやればいいというわけではないですよね。"Obras"(2004, Hendrick Dusollier)は3Dで構築された街の壁や窓に街中の活動や人間の影が映写されているなかをコンピュータで動きをつけられた滑らかなカメラが動いていくという作品。毒にも薬にもならない作品。本物の建物使って同じことやったらだいぶ違うと思うんですが。obrasってロシア語だとimageなんですけど他の言葉でも似たようなものなのでしょうか。
 "Father and Daughter"(2001, Michael Dudok de Wit)は邦題『岸辺のふたり』でおなじみのアレです。こういうプログラムの中にポンと入ると、名作といわれる所以がわかってくるものです。構えて観ていても乗せられてしまいます。自転車の走る方向。"サウンドミニチュア"(2004, ヨハネス・ブラウン)は20-30年代のアヴァンギャルド映画にありそうなタイプの作品。円盤が回転し、いつしか抽象的な模様となっていく。光を反射して強く輝いたりもする。動くもの、回るもの、光るものに対する感慨というものはおそらく生命誕生以来から続くものでしょう。動物でも反応するでしょう。動物は観念には反応しない。アニメーションを作るときには動物を相手にすることも考えてみていいかもしれないです。Animationsの和田淳作品には猫を釘付けにしたものがあります。アニメーションにとっては結構大事なことだと思いますよ。"Caracas"(2006, Anna Blaszczyk)。「アニメーションには人間なんてでてこなければいいのに」と思ってしまうときがありますが、これはまさにそう思ってしまう作品。
 "Fast Film"(2003, Virgil Widrich)はおなじみの作品。莫大な数のハリウッド映画からとってきたフッテージをプリントして折り紙にするというきちがいじみた作品。揺れて震えて破れる。皺が寄る。それだけで気持ちがいい。ワーとかギャーとかキャーとかが多いのも動物にはもってこい。様々な映画のシーンにメタモルフォーゼしながら、その平均値として一本の物語がある。これってまるでハリウッド映画じゃないか。……お、結構批評性の高い作品じゃないか、と今気付いた。どうかしてるね。
 "Une histoire vertebrale"(2004, Jeremy Clapin)は去年の広島では「バックボーン・テール」として上映された作品。足りないものを補いあうというのは基本ですよね。陰陽とか。男女とか。
 "Flat Life"(2004, Jonas Geirnaert)は四面同時展開の作品。この作品は最初の5秒くらいで名作だとわかりました。今日の発見ナンバーワン作品。四つの部屋は当然お互いに関係しあっている。昨日書いたスラップスティック系の作品と一見似ているのだけれども、実は全然違う。AだからBしてBだからCして……という構造ではなく、「私は猫です」から「これは本です」に変わるような構造。後ろに隠れた「〜はーです」という独自のロジックを展開していく。わかりにくいか。違う部屋に映るテレビの画面が入れ替わったり混ざりあったりするということ。最後に部屋の構成要素を変えてもう一度始まりそうになるということ。現実のロジックとか違うが、独自のロジックとして一貫している。平面かと思ったらいきなり立体の動きが入ってそれがやけにきもちいい。「あ、そうなんだ」という快感。同じリズムが反復されることの快感。今日は「きもちいい」ことばかり書いていますね。僕はアニメーション動物です。

DOKライプツィヒ特集
 "Jam Session"(2005, Izabela Plucinska)はクレイ作品。すごくつまらないのだけど、そのつまらなさが見所。クレイを使いながら「太っててドアに挟まる」とか「ズボンが入らない」とかデブネタをやるのってすごく勇気のいることだと思うんですよ。粘土だから伸び縮みするし。でもそういうことをなにも考えていないんだと思う。そういうつまらなさが面白い。これがもしドローイング作品だったらスッと流してしまうんだけれども。素材感をもったものを使う作品ってやっぱりその素材の特性も考えないといけないと思うんですよ。
 "Close your eyes and do not breathe"(2006, Vuk Jevremovic)は新世代のアレクサンドル・ペトロフ。油絵ではないですけどね。これもまた「人間が出てこなければいいのに」と思ってしまう作品。"線を引く"(2006, ヒェークン・ユング)は、線を引いてそこからはみだすものを切り取る人のお話。なぜ線を引くのかがよくわからなかったのですが、作者が韓国人だとわかって一気に解決。主人公の顔も朝鮮半島の形だったしね。一気にファンタジー消滅。単に「神経質な人」という設定だけではだめだったのだろうか。
 "Lucia"(2004, Felix Gonnert)はよくわかりませんでした。"いかだ"(2004, ヤン・チューリング)はひどい作品。実写と人形が混ざるのですけど、その調和に気をつかえないようならば最初からつくらないでほしい。勝手にシチュエーションをでっちあげて勝手に人間の愚かさを設定した内容にも吐き気がする。"雪片の戯れIV"(2004, ベルベル・ノイバウアー)は前半の"サウンドミニチュア"とは正反対の抽象アニメーション。3DCGで抽象をやる意味ってどこにあるのだろう、スクリーンセーバーで出てくるうにょうにょとどこが違うんだろうとアニメーション動物は思ってしまいます。
 "Come on Strange"(2005, Gabriela Gruber)は広島で上映されましたね。相変わらず最初の3秒と最後の2秒だけ傑作でした。真ん中の部分はエフェクト的映像でしかないような。"配達"(2005、ティル・ノヴァック)は、タイトルの入り方、エンド・クレジットの流し方からしてもう勘弁してほしいと思ってしまう。長編アクション劇映画みたいなことしてるけどさ、あなたの作ってるのは短篇アニメーションですよ。3DCG世代の悪い癖。自分の作りたいものだけ作って。都合の良い世界をでっちあげて悦に入って。そういうのもう禁止。
 "Our Man in Nirvana"(2005, Jan Koester)は今日の不思議ちゃん作品ナンバーワン。とにかく変な作品。上映中何度も「なんだこれ(笑)」という文字列が頭の中に。ホームページみてください。作者の若者、良い顔してるでしょう?トレイラーみてください。なんだか楽しそうでしょう?独自ロジックに満ちた作品なんだけれども、どこまで本気なのかわからないのが怖い。
 "Morir de Amor"(2004, Gil Alkabetz)はおなじみアルカベッツの"愛のために死す"。去年の広島から数えてもう5回以上観ています。『岸辺のふたり』同様、何度みてものせられてしまうということはやはりかなり出来がいいんですよね。抗いきれないなにかが。アルカベッツは、この作品でもそうですし、"Travel to China"という作品でもそうなんですが、騙し絵的なものを使うんですよね。ちがうわかっているけどそうみえてしまう、みたいな。生理的に抗えない。アニメーションが動いているようにみえるのも生理的なものですし。音とかもいちいち気持ちいいんですよね。頭だけでなく、身体に訴えかけてくる。アニメーション動物も納得の作品です。

 それにしても素晴らしい二日間でした。ザクセン州ありがとう。プログラムが始まる前に30分近くもいろいろな人の挨拶やクラシックコンサートの宣伝とかがあってもまったく気になりませんでした。世の中そううまい話はあるもんじゃないですしね。タダでコピーできるのも裏に広告が入っているからですしね。(土居伸彰
 

関連サイト
イベントホームページ
関連DVD
『岸辺のふたり』[Amazon]
「知られざるアニメーション vol.1」(愛のために死す 収録)[Amazon]

「openArt Short Film Selection #1 Party」(Flat Life 収録)[Amazon]

「国際アートアニメーションインデックス Vol.1」(Fast Film 収録)[Amazon]
ザクセン州とアニメーション映画への情熱 < 1 2 >