jax ファーストステージ


○カナダ作品
・プログラム1
 "I Met the Walrus"(Josh Raskin)はちょうど同じプログラムにあった"おはなしの花"と同じタイプの作品です。14歳の少年が40年前にジョン・レノンに突撃インタビューした内容を映像化していきます。少年はマネキンのようにカタカタとしゃべるだけなのですがジョンの語る言葉にはもとから花が咲いていて、それを逐語的にアニメーションにしていきます。もちろん、逐語的といえどもどういう映像を選ぶかは作家に任されているわけで、逐語的に感じるということはチョイスが間違っていないということ。インタビュアーは14歳らしくジョージ・ハリスンの名前がすぐに思い出せなかったり、ジョージが好きじゃないと言ってみたり微笑ましいです。ビートルズ・ファンにはぜひおすすめしたい作品。最後の花の揺らぎはマッケイの『恐竜ガーティ』を思い出させもする、アニミズム的でもあり東洋的でもあり、狙ったのか狙ってないのかわからないがとても良いシーンとなっていました。ホームページで予告編をみれます。(上映でみたやつより高画質な気がする……。)アカデミー賞ノミネート。

 "The Interior Monologue of the Gill the Goldfish"(Jim Goodall)は3DCG+実写。金魚が悪態を尽きまくるお話。こういう音楽のセンス。こういうジョークのセンス。かわいいものがやたらと汚い言葉を吐くというギャップやかわいいものが肉欲にまみれているというギャップで笑わせようとするセンス。べったりとアメリカの同時代の空気が染み付いています。たぶんこういうのはユーモアのセンスがあるとは言わないと思います。なんとなくで笑わせようとする作品。出来が悪すぎます。

 "Aboriginality"(Dominique Keller)も何とも言いがたい作品。プロフィールをみたところ、監督はドキュメンタリーの実写出身のようだけれども。アニメーションは初めてかしらね。よさこいダンスを思い出した。お金の援助を受けやすそうな作品であることは確かですが、こういった作品が作品として優れている例はほとんどない。作品がうまくいっていないと、そこに込められたメッセージ性も陳腐なものに思えてしまいます。結局誰にとっても得にならないのでは。

 "The Three Wishes"(Sheldon Cohen)はベテラン作家の作品。「ほんとにこれでいいの?」という疑念はおそらく見た人ほとんどの頭に沸き起こるはず。

 "New Neighbors"(Anita McGee)は新しく越してきた隣人のセックスの漏れる声にテンションが高くなる一人暮らしのおばさんの心情を、モノや印刷文字のアニメーションを実写に混ぜつつ表現する作品です。下品すぎて笑ってしまってしまいました。欧米女性作家はどうしてこういった突き抜けた下ネタをつくれるのでしょうか。感心してしまいます。

 "Paradise"(Jesse Rosensweet)はこのプログラムのカナダ側で一番秀逸な作品。決められたレール(文字通りのレール)を行ったり来たりすることしかできないブリキ人形の夫婦の平凡な日常は、実は初めからかみ合っていなかったというお話。妻がいなくなったとしても夫は同じルートを進みつづけます。キスする先に相手はおらず、ただ妻を動かしていたレールが動くだけ。夫は決まりきったルートから逸脱してみようとするが、それだってレールの上であることに変わりはなく。運命に逆らうことはできないのか。ブリキのおもちゃが好きな人もどうぞ。

・プログラム2
 "The Stone of Folly"(Jesse Rosensweet)は、"Paradise"の作家の初監督作品。精神病院を舞台とした、ヒエロムニス・ボッシュの"愚者の石"からインスパイヤされた作品。"Paradise"のスタイリッシュな感じとは異なり、見た目は「普通の」人形アニメーション。愚者の頭の中には石が入っていて、それが頭のおかしな人の原因なので取ってあげないといけない。そして、取った石はゴリゴリと粉にして、赤ん坊たちに飲ませてあげないといけない。将来またうちの病院に治療に来てくれますように!……そういうお話。とにかくよくできている作品。"Paradise"と比べれば、作家性は弱いけれども、これだけよくできていれば言うことないのではないでしょうか。よくできているなあ。

 "Flutter"(Howie Shia)は2D作品。スチールを見る限りはジョナス・オデルの"リヴォルヴァー"っぽくて期待をしていたのだけれども、極めてアジア的な描線が僕の期待とは違う方向へと向けられていってしまった。ちょっと調べてみると、日本のアニメから影響を受けているとのこと。なるほど。顔をどういう風に描くかというのは、なぜかその作家の方向性を雄弁に語ってくれる。当たり前か。ある程度の水準にある作品なので、好きな人は好きなのではないでしょうか。こういう系統にしては、珍しく音のセンスがそれほど悪くない。東京国際アニメフェア2007のグランプリ。

 "Vissi d'arte: An Opera in 3D"(John Mark Seck)は……まあいいや。タイトル("3Dオペラ:歌に生き")で大体どんな作品かわかるでしょ。プッチーニのオペラ「トスカ」に着想を得たそうです。決まり文句の集積のような作品。"Flutter"のような作品が評価される場というのはわかるのだけど、こういう作品はどういうところでどういうかたちで評価されるのでしょうか。想像がつかない。

 "Drift"(Veronica Verkley)は、あまり記憶に残っていないのですが、「アニメーションはその人のセンスが画面の角から角にまで出るなあ」とメモには残っています。字幕やクレジットでもその作品の良し悪しはだいたいわかりますよね。そういうデザインのセンスだけ良い作品もありますけど。

 "Montrose Avenue"(Marek Colek, Pat Shewchuck)は、2Dのデジタルなアニメーション。動き出した瞬間にどういう種類のアニメーションかわかります。がっかりです。特にユーモアも何もなく、ただ淡々と日常を描いていくという珍しい(褒め言葉ではないです)作品。

 "The Pit and the Pendulum"(Marc Lougee)はパペット・アニメーション。ポーの「落とし穴と振り子」が原作。といえば、当然思い出されるのはシュヴァンクマイエルの同名の作品。それと比べると、全編に漂うダイジェスト感が異常。セットでご覧ください。"レイ・ハリーハウゼン・プレゼンツ"というプロジェクトの最初の作品らしいです。そういえば、TIFFのハリーハウゼン特集にもいきました。カラー版は世界初上映とのことで、上映に入るために荷物検査と金属探知が必要でしたよ。撮影されたりストリーミングされたりしないようにという配慮らしいですが……と思わず思考を散歩させたくなるタイプの作品でした。

○日本作品
・プログラム1
 "走れ!"(青木純)。短篇アニメーションは規模の大きい時間をダイジェストで一気に駆け抜けることができます。"around"(加藤隆)。短篇アニメーションは日常のルーティーンをきれいに描き出すことができます。加藤隆さんの作品は、"The Clockwork City"には納得がいかないが、この作品にはまあ納得がいきます。"おはなしの花"(久保亜美香、井上精太)はICAF(3日目)の際に書いたので省略。大きなスクリーンで見ると、丁寧さがよくわかります。

 "ゆきどけ"(大山慶)は、このサイズで観るのは初めて。一作目から自分の作品テーマが本当にしっかりとしているなあ。各種演出も根拠があって迷いがないです。改めて良さを実感。ただ、台詞がモロにラテン系の言葉の響きなのが気になってしまった。"診察室"ではきちんとノイズに還元されきっていて改良されているけれども。"おはなしの花"のあとにこれかあ、と思わず笑ってしまったことは隠さないでおきます。

 "La Magistral"(山川晃)は、デジタル系のフェスなどで評価されるタイプの作品。次のプログラムの"鼻の日"(和田淳)とちょっとタイプが近かったりもするのだが、それだけにデジタルとアナログの間の深い溝いがはっきりとわかります。僕はアナログの力を信じつづける人間なので……つまりは過剰さに。いくらたくさんのものが動いていようとも、コピペ的作業が可能なデジタル技術でつくられてれば、それらは単純な秩序しか生み出すことができず、過剰ではないと思うのです。

 "或る旅人の日記「赤い実」"(加藤久仁生)は、僕のような立場の人間があれこれ言えるタイプの作品ではないです。短篇アニメーションの多ジャンル性というのはもちろん長所なのだけれども、評価を難しくしてしまったり、誤解を招いてしまったりする側面もありますよね。"おはなしの花"以降はほんとにいろんなタイプの作品がやってくるので、頭を切り替えるのがタイヘン!

 "鬼"(細川晋)は実はフルで観るのは初めてでした。映像部分のクオリティの高さは誰もが認めるところだろう。2Dとの組み合わせも素晴らしい。ただ、音の部分はこれでいいのだろうかと疑念が。棒読みナレーションが作品内の時代と完全に乖離してしまっている印象です。台詞でここまで説明的でなくとも、もっと上手いやり方できちんと成立したのではないでしょうか。

・プログラム2
 日本側のプログラムは"Hai and Low"(森下征治)から。静止画でみると期待させるのですが……デザイン性が高い、ということでいいでしょうか。
 "nakedyouth"(宍戸幸次郎)は、今年の学生CGコンテストの最優秀賞受賞の作品なのでご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。メディア芸術祭で観たときよりも画質が粗く、背景が出来のよくない3DCGみたいなつるつる感を持っていたのが少し残念なところ。作家さん自身がやりたいことはきちんとできていると思うので、僕自身の評価は必ずしも悪いものではないのですが、やはり本質的な方向性として相容れないなあ、という気持ちがあります。雰囲気づくりに貢献している雨も湯気も、「モノ」として描かれているところが気になってしまいます。僕自身としては、そういった自然のエレメントは境界線をもたないものだと思うので。3次元空間は創出されているものの、登場人物、背景、湯気などがそれぞれ分離して存在していて、そういった「モノ」たちがいる空間以外には何もないように思えます。光線も、モノに映る反映や影(モノが作る光のネガ)でしか表現されていないような気がします。空間を突き抜けている感じがありません。僕はアニメーションから現実を濃密に感じたい人間であり、なにもない空間になにかの存在を感じたい人間なので、そういうところがちょっと居心地悪いのです。しかしながら、骨のある作品であることは確か。是非みなさんの感想もきいてみたいところです。

 "さよならばいばい、またあした。さよんらばいばい、げんきでね。"(藤田純平)は、水彩画のアニメーション。とても「気持ちいい」作品です。とても失礼な言い方かもしれませんが、「商品」として秀逸だなあ、と思います。"コタツネコ"(青木純)も、技術レベルの高い、細かいネタをたくさん散りばめた一発ギャグ人形アニメーション。商品として秀逸だなあ、というのはこの作家さんの場合間違いなく褒め言葉になるでしょう。

 "かなしい朝ごはん"(一瀬皓コ)は、"ウシニチ"がICAFで僕に大好評だった作家の作品。見せ方のエコノミー。最小限で最大限の効果。散りばめられたいくつかの小道具が連関しあっていく。基本的にはカメラは動かないままで、小さな別画面や鏡(見事!)を使ってその制約が補われていく。"ウシニチ"のラスト近辺でも目立っていたダイナミックで(良い意味で)暴力的なカメラワークはこの作品でも力を発揮しています。……が、画質が粗く、ドットが見えている。上映の問題なのか、そもそも大画面で上映するように作っていないのか。フィルムでは起こりようのないこの状況は、非常に問題含みではないでしょうか。画面に粗いドットが出てしまうと、もはやその画面に映っていて観客が認識できるもの以外には、その作品が何も持っていないことが露呈されてしまいます。このことは"nakedyouth"のところでも書いたけれど、デジタルの限界なのかもしれないですね。作られたもの以外のものが何もないという。ドットの背後には、真の意味での無が広がっている。とても恐ろしい。アニメーションの話とは直接的には関係しないですが、mp3音質でばかり音楽を聴いていると耳がバカになるのと同じことが起こるのではないでしょうか。「人間には聴こえないから」という理由で勝手にカットされているわけでしょう。聴くものを勝手に削られて選ばれているわけでしょう。ああ、恐ろしい。

 "FRANK'S FEAST"(荒井知恵)は、ハイクオリティなドローイング作品。ハイレベルなアニメートだけでなく、音のセンスも抜群ですが、さすがにちょっと音が大きくなりすぎかも……いやになっちゃうくらいに音が大きくなる必然性はあるのですけれどもね。良い作品です。tatamistudioというスタジオ名が出たその次の作品は、畳的な描線を持つ"鼻の日"(和田淳)。なんだか技術レベルの異様に高い作品が続くこのプログラムのなかで唯一と言っていいほどに、ローファイさを誇っています。しかしそれだけに、人間の手の力というものを感じさせてくれます。それはまるで職人の手のようなゴツゴツとした感触。"La Magistral"ほどに多いわけではないが、それでも多めに登場する人間たちが動くととても気持ちいい。子宮的空間の中をぬめぬめ動くその動きは、和田作品の特徴の平面性を裏切っていきなり三次元を感じさせる。このぬるぬるぬめぬめ感溢れる動きだけが異様にハイクオリティー。原始から現代に到るまで人間や動物に共通しつづけてきた感覚をきちんと保った作品。紅潮する頬、ほんわかピンク。
 "蒲公英の姉"(坂元友介)については、ICAFの時に書いたので省略します。

○総評
 今回のイベント、カナダ側の作品は、NFBとBravo!Factという民間財団の共同作品から選ばれたわけで、日本側のセレクションとはやはり傾向が違いました。前回のエントリでも書きましたが、カナダ側にはある程度の統一感があり、日本側は実に多彩でした。良い意味でも悪い意味でも。セレクションのメンバーの人選からして、当然の結果なのですが。
 上映中に僕が考えていたのは、「なぜ山村浩二推薦作品は他の推薦人とかぶるのか?」ということでした。
ものすごく大雑把な区分をしますと、現在のところ、アニメーションに関しては(商業)アニメ系、アート・アニメーション系、メディア・アート系、ファンタジー系、実験映画/現代美術系というような区分があると思います。
 (この区分は、商業アニメ系は東京国際アニメフェスなど、メディア・アート系はメディア芸術祭やアルス・エレクトロニカなど、ファンタジー系は飛騨メルヘン映画祭など、実験映画・現代美術系はイメージフォーラム・フェスティバルなどが好んで取り上げるような作品を想定しています。アート・アニメーション系は一番得体が知れないですね。それはたぶん実態がないからです。)
 で、どうもAnimations的に面白いと思えるのは、これらの区分から漏れてしまう作品であり、もしくはこれらの区分を超えてあちこちに顔を出しそうな作品であるように思います。例えば、大山慶であれば、メディア系や実験映画/現代美術系で評価されていますが、逆にいえば、どのフェスティバルでもしっくりこない。作品全体を包括的に評価してもらえる場がないように感じます。
 で、Animationsの最初の座談会の内容を思い出していただきたいのです。(勝手に設定しといてなんですが)これらの区分を超えたところにどうも、いかなる枕詞もつかない「アニメーション」としか名付けようのない作品群がある予感がするわけです。だからグループ名がAnimationsなわけです。なぜ山村浩二のセレクションが他の推薦人とかぶるのか。それは、「アニメーション」という領域を見据えているから、なのかもしれません。そんなことを考えていました。雑多な日本の状況というのは、逆に考えれば、特にヨーロッパの学生作品に感じてしまうようなモノトーンな感じよりも健康的とも考えられるわけです。(外のお金がからんでいないことの証明にもなりますが。)ここから未知の未来が生まれてくる可能性に溢れているわけです。(何も生まれてこない可能性であるともいえますが。)日本の現状の雑多さ、それを確認できただけでもこのイベントに参加したことには意義がありました。来年二月にもありますので、今回行けなかった方々は是非どうぞ。日本の現状がよくわかります。(土居伸彰
 

関連サイト
cjax公式ホームページ
日加ショートアニメーション・エクスチェンジ