イアン・ラーキン、
幻想の依存的誘惑に囚われて

 クリス・ロビンソン(訳・土居伸彰
Chris Robinson, “Ryan Larkin: Trapped in the Addictive Allure of Illusion"(2000) from Unsung Heroes of Animation(2006)
  
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 『シランクス』の後、プロデューサーはラーキンに、公的な作品製作に戻るよう言いつける。ラーキンが製作に関わり、誇りに思ってもいるのは、森林火災防止を訴えるセント・ジョン・アンビュランスのための教育用映画で、カラー・パステルの技法をさらに発展させたものや、モントリオール万博でのNFBの展示のサポートであった。「NFBはラビリンスという名前のパビリオンを出展していて、そこにはたくさんのスクリーンが設置されていた。僕はロマン・クロイターとコーリン・ロウに頼まれて、『シランクス』と同じ描画スタイルを使って、ギリシャ神話を題材に、ラビリンスに設置するための映像をつくった。」

 万博での展示に続いて、ラーキンは、人々が歩き回る様子のスケッチをベースにした作品の提案書を提出した。それが受理され、ラーキンはそのプロジェクト用に一年を与えられる。しかし、同じことを繰り返してしまうのではないかという考えに悩まされ、新たなテクニックを完璧なものにするため、完成まで二年かかってしまう。「水彩絵具を使った東洋的な筆遣いを発展させて、人体や、人体が解剖学的にどのように動くか、そして人間の振る舞いの表現、ある動きで話し相手に対して自分を印象深くみせようとしている人たちがいかに滑稽に見えるか、そういったものを研究した。ロトスコープは使ってない。自分なりの観察だけでやり遂げたんだ。小さな仕事部屋に鏡があって、それに向かって自分の体で動いてみて、鉛筆やインクを使って紙に書いていった。」人体の細部や動きに集中するうち、ラーキンは背景描写を放棄し、空白にすることを選んだ。


Walking
(1968) - Ryan Larkin © NFB

 二年間のプロジェクトの結果として完成したのが『ウォーキング』である。NFBで製作されたなかで最も名高い作品の一つであり、アニメーション作家たちに今日まで影響を及ぼし続けている作品だ。線描と水性塗料のドローイングを組み合わせつつ、ラーキンは都市に生きる様々なタイプの人々の動きを観察する。顔や身体、ジェスチャーやポーズを、格別に細かくヴィジュアル化しつつ、色彩と音楽とを編み込ませる。街と、街中にいる人々の鮮やかなイメージが展開する。『ウォーキング』はアカデミー賞にノミネートされ、ラーキンはガールフレンドのフェリシティとともにハリウッドへと旅立った。アカデミー賞によって、ラーキンは、そのビートニク風の人物像と派手な衣装を人目に晒すチャンスを得た。ラーキンの髪の毛は約3フィートの長さで、服は自作だった。「格別な色使いのズポンを自分で縫った。ちょっとあの時代には早すぎたかもしれないね。僕はいつも自分を演じようとしていて、どんなスタンダードがあろうとも、そこから常軌を逸しているように見られたかった。パンクでいようとしたんだ。」ラーキンはアカデミー賞用に、派手なシルクのゆったりした袖のシャツと、明るい色でぴっちりとしたズボンを選んだ。

 死がまたしてもラーキンの行く道に踏み込んでくる。ウォルト・ディズニーがその一年前に死亡し、オスカーは[ディズニー・スタジオ製作の]ウォード・キンボール『トリはタフなり』(1969)が勝ち取った。

 『ウォーキング』の後、ラーキンは再びNFBの公的な映画製作に戻り、その後バンクーバーの美術学校に教師として派遣された。八ヶ月の間、ラーキンはアニメーションのワークショップを行った。それぞれの生徒は自分のスタジオで作業をして、ラーキンは生徒のもとへ旅行して訪れ、指導をしたり、共にぶらついたりした。ラーキンは、彼らの試みがどのようなものになろうとも、自分自身の声を見つけ出すべきだと生徒たちを鼓舞した。そのような若者たちの噂から、ラーキンはストリート・ミュージシャンの一団と出会う。「彼らは僕の抽象的なイメージにとってとても重要なポイントになるだろうと思った。彼らには子供などもいるのに、ヒッピーみたいな小さなギャング団みたいで、でも素晴らしいミュージシャンだったんだ。」この出会いによって、ラーキンは次作『ストリート・ミュージック』(1972)へと導かれていく。



Street musique (1972) - Ryan Larkin © NFB

 映画のタイトルが示すように、『ストリート・ミュージック』は二人のストリート・ミュージシャンの実写映像で始まり、その後、アニメーションによる意識の流れの驚くべき表現へと変わっていく。様々な生物と人物がスクリーン上を漂い、メタモルフォーゼしつづける。『ストリート・ミュージック』はだいたい5か6の部分に分けられ、その区分は音楽の調子で決められる。最も魅力的なシーンの一つは第二パートで、印象主義的な風景描写のドローイングが続くところである。他のラーキン作品にも共通することであるが、この作品にもぎこちなさを感じることができるだろう。最後の映像が、音楽の終わるのを待ってストップするという不恰好な終わり方をするのだ。「そこで起こったことというのは、もう僕にアイディアが尽きてしまって、どのようにして作品を終わらせればいいのかわからなくなったということで、だから小さくて奇妙なキャラクターを出して、かわいいダンスをさせて、“さらに続きますよ”とほのめかしながら終わることにしたんだ。」こういった構造的欠点を除けば、『ストリート・ミュージック』は、タップを踏んで膝を鳴らしてノリノリになってしまうような作品で、アニメーターとして、そして芸術家としてのラーキンの才能を確固たるものとした。

 『ストリート・ミュージック』は数々のフェスティバルを回り、オーストラリアの映画祭でグランプリを受賞した。ラーキンはこの受賞を喜んだが、それは実写映画祭での受賞だったからだ。「複雑な長編映画に対して、10分の映画が対抗したんだからね。」ラーキンは3000ドルの賞金を獲得したが、通常の給料をもらっているという理由で、その賞金を他の若い芸術家のサポートに使った。「モントリオールに9部屋あるフラットを持っていて、月100ドルで借りていた。信じてもらえるかわからないけど、僕は芸術や音楽をやっている若い人たちにお金をあげていた。タダで住まいと食事をあげて、好きに過ごさせたんだ。ある意味で、僕の学校があったということだ。」ラーキンの寛大さは、後になって彼を悩ませに戻ってくることになる。>3

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